●おわらの紹介

特色

初秋二百十日の風が吹き始める季節に、越中八尾の「風の盆」は行われます(「風の盆」=祭りの総称)。毎年9月1日から3日間にわたり行われるこの祭りは昔から多くの人々を魅了してきました。今や、全国で知らぬ人がいないほど有名な祭りになり、毎年多くの観光客が訪れます。
一方、多くの観光客が訪れる割りには観光化された要素が少なく、八尾の人々の心と街に深く根付き続けている祭りでもあり、それが大きな魅力となっています。
編笠の下から僅かに顔を見せ、揃いの浴衣に身をつつんだ踊り手達の姿は、とても艶っぽく優美なものです。胡弓の哀愁漂う音曲と唄・囃子に合わせ、優美に踊り歩む姿。ぼんぼりの灯に妖しくてらされた八尾の街並みに沿って夜通し踊る「街流し」。「風の盆」の魅力には言葉では言い尽くせないものがあります。
おわら道場は、八尾町の人以外にも「おわら」を本格的に習得してもらって、その魅力を自分の身体で感じてもらいたいと考えています。


歴史

「おわら」の歴史は元禄時代に始まるとされています。現代に至る長い歴史の中で、「おわら」は進化を遂げてきました。初期の「おわら」は、他の民謡と同じく唄だけでした。次に三味線による音曲がつけられました。「おわら」での三味線の奏法は独特のもので、義太夫節や浄瑠璃曲などの影響を受けているという説もあります。後に太鼓が加わりました。
大正から昭和初期にかけて、「おわら」は大きな変革期を迎えました。胡弓が欠かせない楽器となり(使われ始めたのは明治時代末)、新しい踊りが考案され、現代の「おわら節」の形がほぼ確立しました。大正8年には「おわら保存会」が誕生。この会の働きかけで高浜虚子や長谷川伸や佐藤惣之助や野口雨情ら、一流文化人たちが多数来訪し、「おわら」に新風を吹き込みました。

かつて「風の盆」は8月中旬に行われていたらしいのですが、里帰りなどで町の人口が減る時期に祭りを維持していけるかどうかという懸念が指摘されていました。そこで、太陽暦へ統一されたことを機会に、旧暦のお盆にあたる現在の9月初旬に改められたと言われています。


おわらの語源

語源については諸説ありますが、「おおわらい(大笑い)」の語が「おわら」に変わったという「お笑い節説」があります。文化年間、庶民生活の実態をダイレクトに唄った歌詞に改めた際、新しい詞の間に「おおわらい(大笑い)」の言葉を挟んで踊ったという説です。また、「大藁」の語が「おわら」に変化したという「大藁節説」もあります。この「大藁」とは、藁の束が成長する、すなわち豊作を祈願した言葉です。 


風の盆

この美しい言葉は、遠く奥飛騨地方…現在の高山市以北辺りが起源であろうと思われます。
養蚕が盛んであった時代、8月15日の盂蘭盆会は、蚕が繭になりはじめる時期と重なるため、人々はその世話に忙殺され、お墓参りどころではなかったのでしょう。そこで人々は辛い労働に明け暮れながら呟きました。
「ご先祖様、ごめんなさい。もう少し待ってくださいね…」と。
そしてようよう蚕が一段落して、村中がほっと一息つくことが出来た時、人々は吹きはじめた秋風の中を、遅れた墓参りにいそいそと出掛け、謹んでお礼の言葉を言いました。
「お蔭様で今年も良い繭がとれました。ご先祖様ありがとう…」。

全国的に養蚕の盛んだった山間部では、「九月盆」や「秋盆」という言葉が残っていますが、飛騨地方ではこの遅れたお墓参りを秋風の吹く頃ということで「風の盆」と呼びました。

「盆」という語は「墓参り」の他に、古来「共同で休む」という意味を含みます。
おわらはかって「回り盆」と呼ばれておりました。
「風の盆」を「風封じ」や引いては「豊作祈願」と説明するのは、正しい解釈ではありません。
何故なら「風鎮め」を目的とするなら、それは「盆」ではなく「祭り」というのが筋だからです。

浄土真宗本願寺派 聞名寺HPより



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